漫画のキャラは原則的にシャツを着ない。


漫画の絵は線だけで描く。量を描かない制約のある描写方法なので、描けない(描き辛い。割いたリソースに対して見返りが少ない)モノも結構とある。その一つがシャツだ。
漫画のキャラはシャツを単品で着ることは殆ど無い。大抵はカットソーを着る。理由は「絵を作り辛い」から。

線で描く絵は「縦の要素」と「横の要素」のバランスで作る。シャツは縦の要素ばかりが多く、横の要素は殆ど無いのでバランスというのがつけにくい。また疎密のバランスも極端なので、つい敬遠されがちになる。

だから単品でシャツ着る場合はポケット等のディティールを誇張したり、ボタンを描かなかったり数を減らしたり、(描き易いように)柄を付け足すなど、「横の要素を増やす(縦の要素を減らす)」「疎密の偏りを無くす」という画面操作をする事で違和感というのを薄める。但しどうしてもデコラティブになりがちで「ブリーチのようなオサレ感」が、やはり現れてくる。



ソレらの問題に対する一つの解答が小畑健や河下水希の描き方になる。輪郭線を間引く。すべてを線で表さない。部分的にかすらせて描かない部分を作る。
そして同時に描かない部分で奥行きというのも表現している。つまり強い光を当てて、細かいディティールを飛ばしている訳だ。そうやって縦の要素を弱めている。
それからシワというのも(絵作りの為に)かなり意図的に作っている。形態を表す輪郭線と比べてシワというのはやや量線に近い、曖昧で弱い要素。だからシワを描写する線というのは輪郭線よりも(絵における構成要素としては)下位にあるモノとなる。





彼らはその辺りのヒエラルキーを意識的に弱める。フラット化する。形態を追う為の「輪郭線の線」と量感を表す為の「シワの線」を等価に描く。そうすることで「疎密のバランスを作る為の要素」になるよう、シワというのを意識的に操作している(両者の価値がほぼ同じなので、韻のバランスというのが取リ易い)。

また美術絵的なスキルのあるマンガ家の場合はどうかといえば、逆に解像度を上げることで情報量を増やす。十段階のカラートーンでいえば10〜8ぐらいの暗さの部分をベタの線で漫画というのは表現している。そして10が上限でソレ以上にはもう黒くならないから、解像度を上げて行けば、上は上げ止まり下の白いところだけが黒くなっていく。つまり上と下との差が無くなる。
そうやって白の部分にある僅かな陰を可視化して疎密を均し、それをハッチングすることで絵を描く訳だ。

つまり何が言いたいのかというと、マンガの絵には瞳のハイライトの入れ方から服のシワにいたるまでそれらすべてに意味があり、既存のマンガ絵に対する批判性というのをソコには込められるという事。極論すれば、マンガは絵だけで新しい思想さえ言うことが出来るのだ。