コレが「絵の上手い漫画家ランキング」の完全版です。
寺田克也、鳴子ハナハル、五十嵐大介を絵の上手い順に並べてみる。
五十嵐大介(美大上位)>鳴子ハナハル(美大下位)>寺田克也(専門上位)
作画オタクは美大上位の絵がおそらく理解できない。また美大下位と専門上位の区別が付いておらず、同等あるいは専門上位の方をむしろ高く評価している。
鳴子と寺田の差は単純にデッサン。美大というより予備校レベルでのデッサン。
石膏デッサン、静物画、ヌードクロッキーなど、対象を見てひたすら写実描写をする訓練の基礎があるかどうか。漫画の絵は想像で描くけど、そういったベースの有る無しはやはり現れてくる。
寺田は限りなく1(100%)に近づく絵。09999999999と何処までも続くけど、でも結局最後まで1にはならない絵。そして鳴子は限りなく1から離れられない絵。
五十嵐と鳴子の差はオリジナリティーの差。予備校では鳴子の方が偉かったけど、美大に入った瞬間、鳴子は落ちこぼれて五十嵐の方がずっと偉くなった。
※あとアニメーターは下も無い代わりに上も無い。トップは美大下位まで。美大上位の絵を描くアニメーターというのは居ない。(実験アニメは除く)
例えば作画オタクの目利きレベルをテストしてあげるけど、君たち笠辺哲の絵の上手さって理解できる?
コレはかなり上手い。上手い事をまるで気付かせないぐらいに上手い。
持っているテクニックを全然使わない。その場面で必要な「一番必要最低限のテクニックだけ」を使って、いつも危なげなく描いている。だからまるでテクニックが浮いてこない。
そして少し手こずった「なかなか上手く絵が出来ない時」にだけ、とつぜん高度なテクニックというのが飛び出してくる。笠辺哲にとって過剰なテクニックというのは恥なのだ。
つまりマンガ界の絵の上手さのヒエラルキーは、
専門出身で(予備校絵的な価値基準で)一番絵が上手いのが寺田克也。
美大出身で(予備校絵的な価値基準で)一番絵が上手いのが鳴子ハナハル。
美大出身で一番絵が上手いのが五十嵐大介。
そして総合で一番絵が上手いのが高野文子。
高野文子>五十嵐大介>鳴子ハナハル>寺田克也という順番になる。
コレはかなり自信がある。美大出のオタクならほぼ全員が納得すると思う。アニメの人でもジブリのトップクラスのアニメーター(安藤雅司あたりとか)なら、おそらく納得するんじゃないの?(意外と絵(の本質)を知らない宮崎駿とかは微妙だけど)
そして絵が分からない人ほど下位の方が上手くみえる様ワザと選んだ(もし下にいくほど上手く見えるなら、それはアナタが絵というものを理解してない証拠です)。またヌルオタが「こんなの美大絶対主義だ!」と逆ギレし議論から逃げられないよう、トップは(非美大出の)高野文子にしてある。
愚かな人はすぐ「アンチ美大」か「美大マンセー」の極端な二元論にしようとする。アカデミックなスキルを身につけないと絶対に辿り着けない領域がある。そしてアカデミックから独立した魅力や表現領域というのも同時に存在する。ソレらをハッキリ区別しないといけない。見極めなければいけない。
鳴子の絵を見て多摩美のマン研絵(冬目景エンジン)なのが見抜けない、笠辺哲の絵の上手さが理解できない、最後の「マンガ家の絵の上手さのヒエラルキー」というのがあまりピンとこない奴は、「絵を見るセンス」というのが本質的に無い。作画批評とかするのはもう辞めた方がイイよ。