絵におけるバルクとカットについて
絵というのは色々な要素で出来ている。「技術的な上手さ」と「完成度」は違う。ソコの部分の誤解がある。
ヌルオタは完成度の高い絵を好み、作画オタクは技術的な上手さを好む。圧倒的にヌルオタの方が数では多い為、レベル的には低い(技術的な上手さはソコソコな)完成度の高い絵を描く絵師がやはり受ける。例えば矢吹健太郎みたいな。
「技術的な上手さ」と「完成度」には悩ましい問題がある。両者は矛盾する。
ボディビルに例えてみる。ボディビルは「バルク」と「カット」で構成される。
バルクは筋肉の量。出来うる限り大きい方が迫力があって良い。カットは筋肉のブロックがカッチリと割れているシャープなラインを作る事(六つのコブに割れたパツパツの腹筋とか)。
コンテストの期限までに出来るだけ大きな筋肉を作りたい。でもあまりにソレを欲張ると、カットの時間が間に合わず「メリハリの無いただの風船デブ」になる。だからといってカットばかりを優先すると「迫力に欠ける詰まらないショボ筋肉」になる。
その矛盾する両者を天秤にかけてボディビルダーはいつも苦悩する。そして絵についても、やはり同じことが言える。
自分の今の技術的なレベルよりも一段階上の山に登りたい。そうすると今までの完成度というのは持ち越せない。その度に壊してまた一から組み立て直す。リスクが伴う。
あまりに最初から高い理想を掲げてしまうとまるで形にならない。完成度がなかなか上がらない。
また低いレベルで完璧に完成度を上げ過ぎてしまうともはやソレを捨てられなくなり、その画風のままずっと固まってしまう(若くしてデビューした作家に多い)。
また完成度というのは誤摩化しのテクニックでもある。技術的な上手さの足りなさをカモフラージュする事も出来る。(但し作画オタクのようなリテラシーレベルの高い人達には見抜かれる。引っかかるのは絵の真贋というのが見抜けない、知ったかのヌルオタたち)
美術だとルネッサンス期ごろの彫刻は表面を目の細かいヤスリで綺麗に磨き粉んで表面を滑らかにツルツルにした。でもロダンあたりからはそんな仕事などはしていない。いかにも「粘土をちぎって量をつけました」というのが分かるよう、むしろそのままを作品とした。それ以降の「角を落とす様な仕事」は職人仕事であり本質ではないから。(むしろ美術の本質を卑しめせっかくの作品を工芸品に貶める様な行為。近代以降の純粋芸術至上主義なシーンにおいては極力排除する傾向)
セザンヌの静物画でも同じ様なことが言える。手前にあるモチーフをまたぐテーブルは視覚的に繋がっていない。リンゴの右側のテーブルと左側のテーブルの線は決して平行にはならない。
アレは絵を知っている人間には分かる。人間の目というのはかなりデタラメだ。現実をそのままに描くと決してリアルにはならない。だから作画的な嘘を付くことでもっともらしく見せる。
アレはその辺のカラクリをまんま見せている絵。セザンヌは世界で初めて「絵の楽屋オチ」というのを外の人間にまで見せた画家だ。(そして現代絵画、現代アートの開祖でもある。「神様なんていない」ソレを一番最初に言い出したのがセザンヌ)
メンドクなったので収拾もつけずに終わる。