いしかわじゅんに絵の事なんて、きっと分からないよ。
よく「一般的に絵が上手いと言われている漫画家の評価」をコメント欄でリクエストされるけど、正直、答えるのに困る場合が多い。語りようが無い作家ばかりをみんな選ぶから。
鳥山明や大友克洋の絵について語る事なんて無い。語る価値のある絵じゃないから。(逆にコレ等の作家の絵について熱心に語れる人は、絵というのをあまり良く理解してない証拠だと思う)
ぶっちゃけ美大出身じゃない人の描く絵はどんなに上手くても興味を惹かない。批判性が無いから。
絵の核心というのはブラックボックスになっている。最初はソレが何か分からないまま絵を描く。分からないままでも絵というのは全然描けるから。
鳥山や大友というのはブラックボックスのまま平気で絵を描けるタイプの人たちなんだよ(きっとブラックボックスという概念さえ気付いてない)。だから「ああ、上手いですね」以上の感想がまったく出てこない。
自分の求める価値は「ブラックボックスを開け直接エンジンをいじってくる事」。既存の「絵というモノの認識」を新しく修正しようとする、そんなやり方。
そういう訓練を美大の美術学科では必ずやらされる。だから彼等は漫画にもそのやり方を使ってくる。(リミッター付きのメディアである)マンガの中に上手く擦り合せ、何とか入れ込もうとする。
そんな「せめぎあう部分」が面白い訳。みんなコレに気付かない(作画マニアという連中も)。
学問というのは「新しい公式や定理を見つける事」であって、「円周率を一万桁まで暗記する」や「十桁の読み上げ算をひとつも間違えずに即答する」というような超人芸ではない。何故そんな簡単な事がまるで分からないの?
補足:(差別的だと捉えられるかもしれないけど)自分は美大出身のマンガ家たちが正しく評価されてないと思っている。それは何故かと言えば「高度な試み」というのを彼等は常に志向していて、ソレを殆どの人達が読み取る事が出来ないから。(教養というのは学問なので決して楽しいモノではない。一般人はマンガに刹那的な快楽だけ求める、本質を探求すると、必ず敬遠されてしまう)
例えば作画オタクという比較的エリートな部類の人達でも電脳コイル的な価値が限界。アソコまでなら我慢出来る。その先になると完全無視。(その辺を指摘するとしらばっくれる)
自分が電脳コイル(或はその周辺の価値)を徹底的に否定するのは下らないと思っているからでは無い。むしろ認めているから。そしてその危険性というのも同時に理解しているから。
「そこそこ優れているもの」と「かなり優れているもの」があった場合、存在が許されるのは後者のみ。
何故なら世の中、目利きというのが少ないので両者をハッキリ差別化出来ない。民主的にやれば必ず「そこそこ優れているもの」だけが残る。良貨は駆逐される。だから芸術を守るには「ファシスト的要素」が必要。多数決などクソ喰らえ。
「そこそこ優れているもの」は害悪なので徹底的に破壊する。電脳コイルはアニメの未来を守る為、すみやかに殉職してくだちい。