アニメの絵と動きの正解について。
アニメの本質が動きにあるとした場合、一体どんな絵が求められるか?
おそらくソレは「静止画だと醜い絵」だ。ディズニーのムーランなんかがそう。
「西洋人から見たカリカチュア的東洋人キャラ」
ヒロインがもう有り得ないぐらいにブス。イキナリやる気をなくす。
でも動き出すとまるで印象が違う。あんなに不細工だったキャラが俄然、魅力的になる。アニメの魔法だ。
つまり動かした時に初めて価値を持つ絵こそ、アニメにおいて意味のある絵だ。
そして今の日本のテレビアニメは低予算。そのため殆ど動かない。限りなく紙芝居的。その為一枚絵でも魅力的な「萌え絵の美少女キャラ」ばかりになる。
逆に動くアニメでは美少女絵は相性が悪い。「大きな瞳」は画面を安定させる象徴的なパーツだから。※きっと「よく動く作画アニメ」ほどキャラの目は小さくて不細工。スタジオ4℃なんかは絶対そう。(よく知らないけど)
それから動画のアニメートのみの魅力を追求する「純粋アニメーション」はたいていの場合、抽象化する。物語がより薄くなる。その究極こそが実験アニメだ。
物語を誰もが知ってる「おとぎ話」や「古典落語」にする。既に理解しているシンプルなストーリーなので、限りなく絵だけにその意識を集中できる。
そしてアニメの動きの一体何をもって一番の価値とするか?
ソレは「意外性」。コチラの予想を常に裏切るような動きという事。
またコレは必ずしも「技術とイコール」ではない。ぶっちゃけコドモが作ったパラパラ漫画の方が「動きの意外性」という意味ではプロのアニメーターよりも全然面白い。でもソレはただのデタラメだ。
その辺りで今、一番可能性を感じるのが「劇場版ドラえもん」。アレはかなり面白い試み。
テクニックですべてを仕切らない。適度な揺らぎがある。偶然性を絵の中に意識的に呼び込んで、ソレをテクニックで上手くコントロールする。「シャーマン」と「理知的なテクニシャン」が同居しているような作画。
おそらく実験アニメの要素というのを商業アニメの中に上手く取り込もうとしてるのだと思う。