
オタクはズーズーしい。細田守と今敏が一般人に受け入れられるアニメ監督だと本気で信じている。アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものじゃないですか!
「オタク受けする美少女キャラを出さず、なおかつオタク臭のしない物語」というのをただやってるだけ。「オタク向けじゃないアニメ=一般人向け」という、あまりに単純過ぎるロジック。
あなた達って「(オタクをよく知らない人達が)オタク受けを狙ったけども、まるで見当違いの方向な商品、又はコンテンツ」を見ると、いつもゲラゲラ大笑いするでしょ?「こんなのありえね〜〜っ!!」って。
まさしくアレの逆バージョン。「う〜〜〜〜ん、よく人間の事を学習しているよね?この宇宙人」みたいな。
あの二人に喜怒哀楽という感情はたぶん無い。理解できない。おそらく周りの状況を見て普段はカンで泣いたり笑ったりしている。気持ち悪い!
そしてその気持ち悪さがそのまま作品にも出ている。結局作品というのはその監督の人格そのものだから、どんなに高度な映像を作ってみても其処がダメなら全部ダメ。もう人間自体がダメダメだ。
この二人は監督の器じゃない。アニメは現場の大工や左官屋が建築家になるから最悪。
職人さえいれば家は建つ。適当にその辺から設計図を引っ張ってきて少しだけ手直しをする。するともうソレが自分の作品になる。
そして自分の専門パートばかりに拘った、家の機能を果たさない、「家っぽいけど家じゃない何か」がいつも出来上がる。
遅れている分野ほどそんな分業がキチンと出来てない。まさしくアニメはソレ。
また監督なのに監督業に徹し切れていない。絵的な面白さに意識がすぐ引っ張られる。だから「真琴が自転車でぶつかったオバサンの絵的なディフオルメの面白さ」などを、すぐ追求したりする。その度に意識がいつも分断される。
不必要な物は(例え面白い物が出来上がっても)非情になり、もっとバッサリ切り捨てるべきなのにソレが出来ない。小さな面白い物を寄せ集めればきっと良い物が出来ると信じ込んでいる。だから観るといつもフラストレーションが溜まる。
「観なければ良かった」「知らなければ良かった」「こんな作品に関わらなければ良かった」そんな後悔の念ばかりが起こる。
あんな作品に喜んで「一般の人にこそ是非観てほしい」なんてぬかすオタク連中は、全員ホロコーストしてやりたい。オタクはクリエーションの本質が理解できない精神的メクラのボンクラだ。
それから今敏は「大友克洋のマンガをどれだけ完全コピーできるか」という動機でマンガを描いていた頃からちっとも変わっていない。いつもそんな不純な動機で作品を作る。人間が死ぬほど詰まらないので作品も当然詰まらない。
あなた達、その才能は「絵コンテ」や「レイアウト設定」の分野でもっと発揮しなさいよ!