桂正和ファンは河下水希先生に謝るべきだよ!
※前に書いたエントリー、「河下水希を叩く桂正和ファンの心理」の補足です。
何だか違う意味で受け取っている人が結構いたので補足しますね。
桂正和と河下水希の一番の違いはやはり「作者の性別」です。
河下水希は女性なので、どんなにHなシーンを描いてみても「まるでエロくならない」のです。「男の人はこんなのを見て喜ぶのかしら?」と本人はその意味を全く理解してないまま(パンチラとかを)描いているから、「スカートが捲れてパンツが見えています」という「ただの状況説明」にしかなっていない訳です。
桂正和の場合は読者とまったく同じ目線で描いています。同じところに欲情して、同じところでおっ立てて、同じところで射精しています。
そのため必ず自分の望むようにストーリーは展開します。それは読者にとってすごく気持ちが良い訳です。
でも河下水希の場合、決してそうはなりません。
たぶん担当の編集者に桂正和のコミックスを渡されて「これとまったく同じように描け」と言われていたと思います。(おおまかなストーリーも男の編集者が考えていた筈)
そのため「ひたすら男に都合の良いストーリーに対する作者の嫌悪感」みたいなものがマンガの端々にどうしても現れてくるのです。
ヒロインの東城綾は途中から完全に「桂正和の漫画に出てくるヒロイン」と同じになりました。(ハッキリ言葉では意思表示せずに、常に何かを訴えるような目だけをしている。でも主人公に好意を持っている事だけは伝わってくるような感じ)
これって「すごく気持ちが悪い」んですけども。(男の自分でもそうなんだから、たぶん女の人だと「こんなキモい女がいるかーーッ!」とかなりブチ切れるんじゃないかと思う)
作者の河下水希もそんな「ヒロインの心理状態」がもう全然理解できなくて、「完全にヤケクソ気味なキモい作り笑顔(しかもパンチラしながら)の東城綾」とかを結構描いてましたよ。
表向きはそんな「読者の望む物語」の体裁を取ってはいるのだけど、実際は「全然本心から描いてはいない物語」だから、読者は自分が望んでいるように気持ち良くはならない訳です。
そしてその事に段々と苛ついてきます。「もっと自分を気持ち良くしろ!(桂正和の漫画みたいに)自分にひたすら快楽だけを与え続けろ!」そんな怒りが沸々と湧いてくるのです。
桂正和ファンの河下水希に対する怒りは「当然与えられると思ったものを与えられなかった事に対する怒り」です。その理由をキチンと自分の頭の中で言語化出来ないため、その事で余計にムカついて、結果あんなヒステリックな状態になるのです。
補足:今回の元のエントリーに対する色々な人のコメントを読んだけど、「自分は全然余裕だよ。ちっとも動揺なんかしてないよ」という「ポーズ取り」ばかりのような印象がしました。
本当はコチラの真の意図を最初から理解しているのだけど、その事実を受け入れてしまうと「精神崩壊してしまう」から、ワザとそうやって誤認してトボケているのでは?(穿ち過ぎかな)