つまり電脳コイルがオタクの限界だって事に、いい加減気付けよ。
ホラ、居るじゃないですか?「如何に電脳コイルというアニメが素晴らしいか」を、ネットで吹聴して廻る「作画オタク」というモイキー過ぎる人たちが。
彼等は主流派である「萌えオタ」を目の敵にしている。「アイツらは低レベル。自分達こそ本物を見極められる真のオタクだ」そう完全に信じ込んでいる。彼等にとってオタクコンテンツとは「一般人に対し自分が優越感を感じる為だけにある装置」でしかなく、最終的に「アートの末席」あたりに加えてもらえれば、きっと大満足なのだ。
でも自分はそこをゴールだとは思っていない、だからあなた達の価値観というのを断固拒絶する。
そしてあなた達は本当にバカ。
アートの世界にオタクは永久に入れてもらえない。きっと死ぬまで外様扱いされて、ひたすら搾取をされるだけに決まっている。
だから自分は「ポストアート」というゴールを設定した。オタクという言葉自体がアートと等価値、或はそれ以上になる為の努力をすべきだ。(高い目標を設定する際、つい「アート」という看板を掲げてしまうと、その言葉の持つ体質的なモノに無意識に引っ張られてしまうから。いつのまにか「アートにすり寄る事」が目的になってしまうから)
それから自分が「オタク」を考える際は、「アートの奴らにオタクの一体何を見せたら一番ビビるか?」をイメージする。
その点で言えば、「電脳コイル」はダメ。まるでナイフにはならない。
あの手の価値は美大のゴミ箱にはもう溢れかえる程ある。しかも誰も興味を示さない。決して誰も拾わない。
そして電脳コイルはあの「ゴミ箱に捨ててあるものだけ」でおそらく全部を作れる。だから自分は「電脳コイルの価値」というのを否定する。大きな声で「下らない」と敢えて言う。
「何故オタクが認められないのか?」ソレはそんな理由だから。詰まらないクリエーションなら、むしろ全然無い方が良い。もう価値観が間違っている。