『ももへの手紙』を見て。
あまり気乗りしないけど(一ヶ月更新しないと広告が出るからそれを消す目的で。
最初の五分ですぐ飽きて携帯を弄ってた。「(チラッ)え~まだ一時間も経ってないの~」そう何度も時計を見ては早く終わるのを念じてた。手前にいる親子連れの子供が退屈そうで、ずっとグズってた。
まず動機が分からなかった。アニメは二種類あって、作家の内なる訴えたいもの、まあ作家性?を発露する為の映画と、
純粋アニメートの表現をより高める為の実験場として表層的に「ストーリー」という世間のコンセサスが得られる方法を一応借りる、その二通り。
どちらでもない。一応後者である「作画アニメ」なのだろうが、その要素は薄い。最後のスタッフロールは豪華メンツだが、そんな超一流どころが八割程度で余力を残して流した感がある。おそらくコンテを読んで「…まあ断れない義理汁な仕事で」という大人の事情だろう(それでもアニメを千本見たぐらいで「オレは審美眼ある!」と思い込む作画オタぐらいならきっと騙せるけど。
スポット的には面白いアニメートもある。もののけの形がクルクルと変わる、『銀河鉄道999』で金田伊功がやったプロメシュームみたいのとか(まあ直接金田リスペクトというより金田リスペクトしたムラカミを真似た印象があった。イマジネーションのないアニメータはムラカミをパクリと叩いて実際は自分らがパクる)。あと嵐の中バイクで妖怪のトンネルに守られて橋を渡るシーンとか。一応嘘として構築して来たストーリーのトーン、世界観をぶっ壊してるシーンだけ面白い。
あそこの郵便配達員の描写(放心したような顔)が完全にアニメータの絵描きの都合の道具。人格を認めない、神目線でマリオットにする。
あのシーンで「今までのは嘘です。フリです。本当はコレです」と、いつものアニメーター根性をぶち撒ける。最後まで嘘をつき通さない。(せめて海外で賞をやるならキモオタが偽装した作品でも、最後まで嘘をつき通したヤツにだけ賞をやって欲しい。(才能がないから「泣き」で俗物根性に迎合するしかない)原恵一には一切やらなくてもいいけど。
あと優香がお母さんの声をやってるのをあとで知った。全然気付かなかった。思い出そうとしても全然印象がない。覚えてない。
ネットで少し感想など調べたら優香のお母さん声をくだらなく褒めてる奴がいる。予定調和感がある。その褒めるところまでがセットの、オタク作り手と受け手の共犯関係な。
妖怪も西田敏行は西田敏行のセルフパロディで山寺宏一は予想を一歩も裏切らない手馴れ芸。最後のオチをやる天然なヤツは『カスミン』のトイレモップのヘナモンだな、と思った。つまり全部既視感。(これに限らず。もうあちこちに書かれてるコトだけど。
扇風機のCGなどもすごく気になった。手描きが苦手(あるいは手間がかかる割に報われない)ならうまくレイアウトなりで誤魔化せばいいのに、なんなんだアレ。演出的な意味があったのか。(『エースをねらえ』の試合中にローアングルで岡ひろみの顔を舐めながら後ろの遠くで飛ぶジャンボジェット機か。俯瞰目線か。押井の考える「映画」に模範的に従い、名誉映画になる為の徳を積んでるのか。
お父さんの存在感がキモいのは、アレだけはアニメーターたちを含む等身大なキャラだから。今まですべて嘘なフィクションで来たのに、いきなり生っぽいキャラが出て来た。
また気になる部分、妖怪が盗んだ食べものを娘の仕業とお母さんが誤解したままなんのフォローも無しとか、みかん運ぶマシンをぶっ壊しその後どうしたのか、など、細かい倫理的な部分に引っかかる。あと「嵐の中バイクに二人乗りとかどうなん?せめて車にすれば?」など諸々ある。(ネットで検索し出て来ただけでも
「知性がなくて道徳的な人間」というのが一番つまらない。物語は事件が起こらないと転がらない。不道徳とか間違いが最初に必要で、ナチュラルに間違えられない奴は意識的に間違いを作るのだけど、センスないからその勘どころが分からない。だったら、ふくやまけいこみたく誰も傷つかない、柔らかで何も起こらないウソな優しい王国でも作りたまえ。この人畜無害。
よくあるテンプレの、地方で等身大な女の子の「アニメ的なファンタジー」に逃げない地に足のついた、でも一般人にも許容範囲なすこしファンタジーがある、リビドー丸だしのキモ絵回避でしかないややリアル寄りキャラデザの、丁寧な手間のかかる日常描写の実はハイクオリティな作画が売りの、でも「そんなの分からなくていい一般のアニメートに興味のない人たちに届けたい」などと嘯く、どうせ凝ったアングルでレンズ歪めりゃいいんだろ的な、以下etc…
きっと一年後ぐらいにカット編集されたヤツがテレビでやると思うから、それを見ればいいよ。不要な部分が切られマシになってる。二時間は長い、一時間半弱で十分な内容。取捨選択が下手なだけ。(アニメマニアの)義務感で見るアニメだからそれぐらいが丁度よい。
映画って平凡なものが映ると醜悪で叩き潰したくなる。凡庸というのが持ってる醜悪さを増幅する装置なので。
才能や狂気しか許されない。押井の「平凡な子供が主人公でも演じる子役は非凡な子でなきゃ映画は保たない。なのに『アルメニア物語』は平凡な子を本当に平凡な子役が演じちゃった(だからダメ)」というのは正しい。これは作り手にも同じか、それ以上で。(例えば、たけしや松本は才能がなくても超有名タレント特有の狂気で映画が保つ。
この人は(アニメーターとしては優秀でも)監督はダメ。ほんとビックリするくらいただの普通の人。
それから最後、川に橋から飛び込むのは暗転し、ドボンと飛び込む音だけで終わりで良かった。あの作画はいらない。無駄。
PS:やっぱりつまらない作品は絡み損だと思った。才能ある駄作はまだ隠れた値打ちを引っ張れるけど、完全な無才能の駄作なので、どんだけ叩いても打球が飛ばない。愚鈍さにブラックホールみたく呑み込まれる。